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sproutおぼえがき

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ミニ・コンサート

5月13日 月曜日
小雨 朝はまだ肌寒い



友人のMさん夫婦はもう何年も、障害のある子どもたちの音楽療法をしている団体のお手伝いをしている。
昨日はその団体のミニ・コンサートがあるというので、誘ってもらって行ってきた。

会場は中野区にある特別擁護老人ホームのオープンスペースだった。
着くと出演者たちはみんなもう舞台側に並んでいて、関係者や親御さんたちは周りで準備に大忙しと、本番前の緊張とわくわく感が充満していた。


子どもたちが前、親御さんが後ろで、それぞれ楽器を持って並ぶ。
ギタ−、タンバリン、ハンドベル、チャイム。
サウンド・オブ・ミュージックの中から、テーマ曲、my favorite things、エーデルワイス、ドレミの歌を演奏した。
この団体に所属している子どもたちはかなり重度の障害を持っていて、ほとんど全員車イスを使っているが、障害の程度はそのなかでもさまざまなので、自分でリズムもしっかり演奏する子もいれば、自由に音を出す行為を楽しんでいる子もいる。
ひとりで楽器を持てない子は、親御さんが手をにぎって一緒に音をならす。
演奏が始まる前はとろんと眠そうだった子も、音楽がなりだすといきいきとしていた。
自分でできないように見えても、音を出そうと手が勝手に動いているのがわかった。


「見る」ことは、見たくなかったら自分で目を閉じれば遮断できる。
でも、「聞く」ことはものすごい性能のいい耳栓をしない限り、万難をのりこえて私たちの耳に届いてしまう。
耳にはまぶたがないから。
音楽の、直接さ、否応なしに体をつきうごかす力はすごい。
まったくずうずうしい。

自分のなかに、音楽を聴いたときにだけ動くかたまりがあって、それは自分では制御不能なちいさな怪物みたいなものだ。
人類が音楽を始めてから何万年もたったあとの、こんなに進化した都会人の(笑)、いい大人の、頭でっかちで脳と体が分離したリズム音痴のわたしのなかにもその怪物はちゃんといる。多少寝ている時間が長いけど。

だから頭も体もやわらかい子どもたちへの音楽の力たるや、文字通り音速で体のなかをかけめぐっているんだろう。

アンコール曲のときに、演奏者のなかからあっちゃんという女の子が立ちあがって、前に出て腕をわきわきさせはじめた。
「指揮しているんだよ」とMさんが教えてくれた。
ハンドベルの演奏に合わせて、音を出す人を次々と射抜くように指差してゆく。
かっこよかった。
指揮を担当していたMさんのだんなさんは完全に役を奪われた。


そのあと、ジャズトリオの演奏を聴いた。
ピアノ、ドラム、ベース(Mさんのだんなさん)のトリオ。
django
you'd be so nice to come home to
too young
(あといっこ聞いたのに忘れた…)

子どもたちの演奏が終わったあとだったので、いろいろと物も人も移動して、会場はざわざわとしていたけど、私にはそれもよかった。

会場はいつのまにかホームの人たちも集まっていっぱいで、ノリノリの人がいるかと思えば、飽きて車イスを押されて出て行く人も、勝手に舞台を横切る人もいる。
その横では、親御さんたちがいそがしく次の準備をしている。
そんななか、異次元へのとびらが開いたように、激渋でものすごくレベルの高いジャズがもくもくと、真剣に繰り広げられていた。
煙のむこうに地獄の番人が…みたいな。
今思い出すと、なぜか脳内でロッキー・ホラー・ショーみたいになって再生されるのはなぜなのか…。

それは、相手に自由を与える種類の勝手さで、もしかしたら親御さんたちの死にものぐるいから生まれてきた自由さや明るさ、健やかさなのかもしれない。
人は強くてやさしいな、と思った。


そんな感慨をぶちこわすかのように、帰りにMさんと寄ったおされカフェはまさに人によって最低になっているところだった。
2人してうわー最低だなーー、と心のなかで思いつつ、都合良くそこらへんはそれとして長居した私たちは人間ができているわけではなく、ようするにおばさんだというだけである。
by titypusprout | 2013-05-13 10:34 | Comments(0)
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