人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

sproutおぼえがき

msprout.exblog.jp

叔父の見送り

5月20日 月曜日
雨 涼しい



昨日の叔父の告別式は、ごく小さく…のはずがけっきょくのところずいぶん大勢の人がつめかけて、そこそこ大きな会になった。
そしておどろくことにそのほとんどが、火葬場までいっしょについてきた。
骨まで拾いたいというくらい叔父を好きな人々ばかりというわけだった。

葬式は、泣いたり笑ったりいそがしい。
だから今まで、葬式は生きている人のためのものだと思っていた。残された人が気を落とさないよう、みんなで集まって、故人がもういないことを納得する場、泣く場所を作ってあげる場。

でも昨日の式は、ほんとうに最初から最後まで叔父のためのものだった。
全員が、すぐそこにいる叔父のことを思って、その存在を疑わなかったと思う。

式のあと、叔父の家に寄って、主のいない介護ベッドをかこんでみんなで飲んだり食べたりした。
叔父の家には、昔からこうして人が集まる。
叔父の家を訪ねると、よく知らない友人たちが自分のうちのように台所に座っていたりしたものだ。

にぎやかなことが好きで、こういう場にはいつも叔父が中心にいたので、この場にいないのがへんな感じよね、ひょいと現れそうだね、と叔母が言い、ちょっとやめてよー、そういうこと言わないで!とほとんど家族のような友人のまりちゃんが泣き、みんなまたちょっとつられて泣いて、何なの泣いたり笑ったりばかじゃないの、と娘のさっちゃんが言ってみんなでげらげら笑った。
この人たちはいつもそういうことばっかり言い合っている。


叔父は、はみだしっこだった私を全肯定してくれた人だ。
叔父が私をずいぶん面白がってかわいがってくれたおかげで、私は自分に価値を見いだす人もこの世にはいると感じたし、大人になると自分が何を好きかも自分の居場所も、ぜんぶ自分で決められるんだと知った。
叔父は私が自分というものを作っていくなかでもっとも大切な、「親じゃない無責任な大人」そのものだった。
そして、これは叔父も同意してくれると思うけれど、共犯者のような友人関係でもあったと思う。

それに対して私が返せたものは、叔父が読みたがっていた「たこでーす」というたこ八郎著のレア本を、古本屋で500円というまさかの価格で見つけてプレゼントしたことくらいか…。


ほんとうは、叔父がどんな老人になっていくのかも見てみたかった。
叔父の人生は幸せだったとだれもが言う。私もそう思うし、本人だってそう言うだろうけど、だからって人生たった67年でいいなんて、私にはとても思えそうもない。
まだ納得するまでにはもうすこし時間がかかることは、叔父には許してもらいたい。
by titypusprout | 2013-05-20 16:01
<< TOEICの勉強 いろいろな明日 >>