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sproutおぼえがき

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辻 恵子個展「K for KIRIE」

4月13日 土曜日
晴れ 気温高いが北風

昨日、切り絵の辻恵子さんの個展に出かけた。

辻 恵子個展
K for KIRIE
辻 恵子個展「K for KIRIE」_f0276902_1321080.jpg
西荻窪 ギャラリーみずのそら


壁に並ぶ、さまざまな紙から切り出された人のかたちは、命をふきこまれたようにいきいきとして見える。

孫悟空がじぶんの髪の毛を引っこ抜いてフッと息をふきかけると、小さな分身がキャアキャアと飛び出すというところや、陰陽師(マンガです)で式神がヒラヒラと主人の代わりを努める場面などと同様の光景が、辻さんのアトリエでは繰り広げられているんではなかろうか。

最後の一辺を切り落としたとたんに、後ろも見ずに走り出す小さな人たちを、辻さんはきびきびとつかまえては、手際よくひねって静かにさせる。
個展の会場はひっそりと静かだけれど、どうもそれは辻さんとその人たちとの力関係による契約でもって、成立しているような気がする。

飄々とした文章もすてきな、お顔も知らない辻恵子さんのイメージは、すっかり涼しい顔をして彼らをたばねる小さい人界の女頭領になってしまった。

包装紙や、写真や、レタリングの文字や、切手など、辻さんの作品の材料となるありとあらゆる紙の、そこに描かれた模様をわたしたちは普段、この線は花の輪郭、この色は花の色、と認識しているわけだけど、辻さんにかかってはそれらはいったん解体されて、そこにあるのはゆるくカーブを描く一本の線であり、または赤と黄緑の色彩の境目である。
そして、ここは手首の袖の部分、ここは小さなシューズのつま先、と新しい概念が与えられたのち、紙はふたたびもとの花の絵にもどってゆく。くるりと人のかたちにくりぬかれた空間と、紙の端からの一本の細い導入線を残して。
その作業は、なんだか文章の校正作業によく似ている。

いったんそうした目が開かれてしまうと、それ以降何をみるにつけても、その中に切り出されるのを待っている人のかたちが見えてきてしまうものなんだろうか。
キャベツの葉のかさなった部分や、雨の日のガラスの模様などが、みんなそういうふうに見えてくる日常があるかと思うと、おもしろいが因果なものだとも思う。
世界のみえようは人によってずいぶん違うんだな、と、へんに大きなことを考えてしまった。


辻 恵子個展「K for KIRIE」_f0276902_1315306.jpg
みずのそらで買った、五月女寛さんというひとの作った家。

# by titypusprout | 2013-04-13 20:22

イタリアののぞきめがね

4月11日 木曜日
晴れときどき雨 気温低


きつねの嫁入りのようなお天気。

エリナー・ファージョンという人がいる。
イギリスの児童文学作家で、おもに1930〜40年代、「ムギと王さま」「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」など多くの作品を書いた。

昨日はあのあと、自宅でちいさな子どものアトリエをひらいている妹によばれ、一人息子の遊び相手となりに行った。
ところが当のご本人はすっかりぐうぐう寝ていて、役目がない。
夜ごはんのミートソースを簡単に作ってしまうと、あとはしごとといったら「そこにいること」くらいしかなくなってしまった。

そこでソファーにすわって、部屋にあったファージョンの「イタリアののぞきめがね」を読むことにした。
アーティゾーニの挿絵が表紙になっている、岩波のファージョン作品集旧版。
市の図書館のリサイクルシールが貼ってある。

ファージョンの短篇集は、こういうちょっとした静かな時間に読むのにぴったりだ。
ひとつひとつがほどよく短くて、ていねいで、親しさとおかしみがこもっている。
私の知らない外国の、昔のお話なのに、隣で誰かが話してくれているみたいにぴったりと寄り添ってくる。
妹の息子はまだ2歳だが、もうすこし大きくなったら、寝る前の「おはなしのじかん」に読んであげてほしい。

それにしても、おかあさんはほんとうに忙しい。
こういうわずかな時間、私なんかはこうして呑気に本など読んでいるけれど、おかあさんだったらこのすきに何を済ませてしまおうと大忙しに違いない。

子育てのいちばん大変なところは、息抜きや気分転換がそうそうできないところだ。
仕事だったら、どんなに忙しくても、家に帰ればひとりの時間があるし、お風呂にだってゆっくり入れる。疲れたなと思えば30分横になる自由もある。
会社や仕事を物理的に切りはなして自分を保つことは、得手不得手があってもやろうと思えばできるけれど、子育てはそうはいかない。
両親だけで子育てしていれば24時間年中無休、祖父母の手助けがあったらあったで、近しいだけに人間関係にも気を使う。

つらくてどうしようもなくなったときに、ばたんとドアを閉めてしまえない。
子どもを持たない私は、そういうことができそうもない。

おかあさんが、子育てが大変な時期にどんなに自分勝手に見えても、そこにはちゃんと理由と道理があるんだな。
おりこうに人のことばかりを慮っていては、自分も子どもも参ってしまう。

しばらくして目がさめた Iちゃんは、むくっと起き上がるなりトランプで遊ぶと宣言した。
そのあと一緒に読もうと持ってきた絵本は、安野光雅の「かずのほん」と「えかきさんととり」。
激渋な2歳。

妹が、「子どもがいるおかあさんとだと「誰かのおかあさん」って感じになるけど、やっぱり今日は「おんなのひと」と一緒にいるって態度になっている」と言う。
思えば、姉の子どもたちも私を「こっちがわ」だと思っているふしがある。

わたしは、子どもにはときどき「親じゃないおとな」が必要だと思う。だから自分がそういう存在になれたらいいなと思う。

とかいいながら要は、無責任でありたいだけである。


『イタリアののぞきめがね』
  エリナー・ファージョン/著
  エドワード・アーディゾーニ/挿絵
  石井桃子/訳
  岩波書店 1976年(旧版)
# by titypusprout | 2013-04-11 23:51

モノレールに乗って

4月10日 水曜日
薄晴 気温低め


失業保険給付の手続きにゆく。案外あっさりとすんだ。
来月から240日間、失業給付金が支給されるそうである。
そんなに休んでいるわけにもいかないんだが、やはりほっとする。

その足でモノレールに乗ってM大学に用事をすませに行く。
私はずいぶん昔、ここの通信教育学部に在籍していたことがある。(そして挫折した。)
そのときに取った単位の証明書が必要なので、もらいに行ったのだ。
当時はモノレールがまだなかったから、真夏の炎天下、京王線の駅から急坂を延々のぼってスクーリングに通った。
そしてあまりの暑さに常軌を逸し、人がバタバタと倒れる(うそだけど)坂道や、することのない昼休みのことを村上春樹ばりに記した手紙を友人に送ったのだった。
当時の自分に死ねといいたい。
その手紙を友人が今も持っていないことを心の底から願っている。

窓からの景色は、高幡不動を過ぎたあたりから急に山深くなる。
山から伸びた尾根と谷の部分がかさなりあい、海岸線や小島のようにもみえる多摩丘陵の地形を眼下に見ながらモノレールに乗っているのは楽しい。
造成され、宅地となった部分と、山の雑木林の部分がまるで塗り絵のように見える。
そのあいだに、古い農家の大きな家が点在している。

地形のかたちがぜんぶ残っているだけに、宅地化前←→宅地化後のbefore/afterがあまりにもくっきりと想像できすぎて、なんとまあ…と呆れる気持ちと、同時にこの景色を面白いと感じてしまう気持ちとが両方ある。

ふと、まだ木々に覆われている尾根にもかかわらず、海で言ったらちょっとした岬のようになっている先っぽ部分だけ、すっかりはだかにされて造成予定なのか一部コンクリートがうたれている不思議な場所を見つけた。
なぜそこに目がいったかというと、突端に近い部分に小さな鳥居があったからである。
やはり最後までこわすのがためらわれるのか、黒く土がむきだしになったその場所に鳥居の赤い色だけがちかちかと目立っていて、よく見ると社へ続く数段ほどの階段もある。

見れば見るほど不思議な光景だった。
誰がいつあの社をつくり、誰がどうしてあのへんてこな場所を開発しようとなどしているんだろう。
ほっとけないなにかが、あそこにはあるんだろうか。
世の中に「ほっとけない土地」認定団体があったら、ぜひここに派遣して見てもらいたい。

モノレールの沿線に、「まんなか」という意味のC大学と、「明るい星」という意味のM大学があるので、昼間のじかん乗っている乗客はほぼ学生だった。
しかし見事なくらい、車両の端から端まで本を読んでいる学生はひとりもいない。
# by titypusprout | 2013-04-11 00:21

履歴書にのらない部分

4月9日 火曜日
明るい曇り 気温昨日より低め


失業保険の手続きには顔写真が2枚必要だと書いてある。
せっかくなので、スーツ姿で撮ることにした。
余った分は履歴書に使えばいいし、それにここはいっちょ、仕事を真剣に探している態度を写真で表明しておくのが肝要だと思ったのだ。

6年ぶりにスーツを引っぱり出し、めんどくさいので上半身だけ着替えて、下は普段着のまま近所のドラッグストアに行く。
徒歩1分とはいえあまりにもばかばかしい格好なので、いちおう上にジャケットをはおって出かけた。

そして、かんたん!きれい!18秒!のマシーンの中で、「3、2、1、撮ります」などとすまして写真を撮られ、外で18秒待っているあいだ、私はものすごい発見をしてしまった。


この写真見る人、私が下半身よれよれの普段着だって一生知らないままだ。


あと確実に、そういうの私だけじゃない。

だって写真撮る日にそのまま面接行くわけないし、写真撮るときはみんなそのためだけにスーツ着てお化粧してるわけでしょう。
就職活動まっただなかの学生さんで、毎日スーツ来て説明会行ったりセミナー行ったりしてるんならともかく…あ、学生さんたちはみんな写真屋でちゃんと撮ってるのか。だとしたらごめん。

でも、ぜったい私だけじゃない。
下半身よれよれのひと。

上半身バッチリスーツ着て、

下半身が……パジャマ
下半身が……ビーサン
下半身が……フルチン

ありえなくない。

日本中でやりとりされている幾万の履歴書写真の、下半身みんなよれよれ。
なんて愉快なんだ。


その後、家に帰ってもう一度書類を見なおすと、写真の大きさは3×2.5㎝と書いてあるではないか。
私が撮ったやつは通常の履歴書サイズの4.5×3.6㎝である。
最初によく確認しなかった私が悪いんだが、あえて言わせてもらいたい。
なんで履歴書サイズに合わせないのか。
仕事探してる人のサポートをするハローワークが、なぜ余計な金を使わせるのであろうか。

それに気付いたときにはもうスーツを脱いだあとだった。
意気消沈した私はすごすごと普段着で写真を撮りに戻ったのだった。
# by titypusprout | 2013-04-09 23:16

お風呂がごちそう

4月8日 月曜日
晴れ 気温暖かくおだやか

冬のふとんカバーなどを一気に洗う。
午後には銀行や役所の手続きなど。


数日前、「限界集落を行く!」というようなタイトルのTV番組をなんとなく見ていたら、長野県のある村で、市田柿の木の剪定をしていた女のひとが、
「この辺はむかし水がなかったから、お風呂なんか4、5日に1回くらいしかつくらなかった。だからお風呂つくるとごちそうだっていって、みんなでよばれたもんよ。」
と言った。
あッと思った。

去年の冬、働いていた図書館で瞽女唄と昔話の会を企画した。
瞽女唄を披露してくれたのは、高校生で瞽女唄に魅せられてその道に入ったという、若くてきれいですごい実力の持ち主の月岡祐紀子さんという方で、昔話は、区内にお住まいの、越後のことばで昔話を語る語り部の中野ミツさんというおばあさんにお願いした。
何度かミツさんと打ち合わせなどするあいだに、ミツさんご自身も小さい頃、瞽女さんが村に来たというご記憶をお持ちだとわかり、そうした思い出話をひとつひとつ聞いていくうち、
「瞽女さんは村に来ると本家に泊まった。瞽女さんが来ると、本家から「おおーい、風呂よばれにこいやぁー」ってね、お呼びがかかってね。」
とおっしゃった。

ふろよばれにこいや?

そのとき私は、よくわからなくて、ミツさんに「風呂よばれにこいや」ってどういう意味?とばかみたいに聞いた。
ミツさんは質問の意味がわからなかったと思う。はっきりとした答えはないまま、気軽なおしゃべりの常として話はそのまま次に進んでいき、聞き方の下手な私はそれ以上うまくつっこんで聞くことができずに、なんとなく頭のすみに引っかかっていたのだった。

「風呂よばれにこいや」は、そのままほんとに「お風呂入りにおいで」だったのだ。
あたりまえか。
でも、瞽女さんが来た!という村の大イベントを前にして、なんで「風呂」推しなんだよ、とそこがぜんぜんわからなかったのだ。

ミツさんの故郷は新潟県南蒲原郡、今は三条市にふくまれている、山のなかの小さな村だそうだ。
テレビで見た長野県の村のように、そこが水の出ない土地柄だったかどうかはわからない。
でも、ミツさんの生まれた昭和の初め、お風呂に入ることはまだまだぜいたくな時代だったにちがいない。
お風呂をつくるのに必要な大量の水と薪は、当然ふだんは煮炊きに優先される。
井戸から水を運んで、つきっきりで火の番をするのも重労働だ。
せっかく瞽女さんが遠くから来たのだから、ゆっくり風呂につかって疲れをとってもらいたい。だからわざわざあたらしいお湯をつくる、ついでだから分家の衆もみんな呼ぶ。そういうことだったんだ。
あのテレビの女のひとのおかげで、懸案の「風呂よばれにこいやぁー」がやっと腑に落ちた。
ミツさんが質問の意味をわかりかねたのも当然だった。
こうなってみると、なんでわからなかったのかと呆れるほど自明に思えるが、じっさいのところ体感として知らないからだった。

イベントは盛況で、自分も瞽女さんを知っている、という人たちも何人も来た。
月岡さんは演奏されるだけでなく、瞽女の研究家でもあられるので、演目の間には月岡さんとミツさんの対談、というか、月岡さんが聞き手となってくださり、ミツさんの思い出話を聞く座談会のような時間もつくらせていただいた。
そのときのお客さんの目の輝きが忘れられない。

体がおぼえている人の、静かな興奮に圧倒された。
会をとおして、じぶん一人がじゃまをしているような気がした。
# by titypusprout | 2013-04-08 19:43